聖ヴィアンネ[聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ]とは

聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネの生涯(1786年~1859年)

聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネは、2009年、教皇ベネディクト16世により「全世界のカトリック司祭の保護の聖人」と定められました。

アルス村聖ヴィアンネは、1786年5月8日、フランス・リヨン近郊のダルディリーで貧しい農家を営むマチューとマリ・ベルーズ夫妻の間に生誕し、信仰熱心な母の元で、6人兄弟の4番目として育ちました。

信心深い子として幼少時代を過ごし、19歳で初聖体を受けた後、20歳でバレ司祭の元で司祭職の勉強につきました。

ラテン語の勉強には苦労に苦労を重ね、29歳でアルス教会の司祭担当となりました。3年後(1821年)にはアルスが小教区になることで、主任司祭として任命されています。

ヴィアンネの生活は、粗末な食事を好み、敬虔(けいけん)な祈りを神に捧げる日々を主に過ごしたことで知られています。また、その頃には孤児たちを保護するためにラ・プロヴィダンス(み摂理の家)と呼ばれる孤児院を設立しました。

ヴィアンネは41年間、アルス村教会の主任司祭としての信仰活動を通して、それまで教会離れしていた多くの人々を導き、信仰復活をさせました。

当時のヴィアンネは、1日17時間も「ゆるしの秘跡」を与えることが日課で、「祝福」や「ゆるしの秘跡」を願う信者達が続々と押し寄せたと言います。

1855年には1年間に2万人が訪れました。

フランス政府はヴィアンネに「レジオン・ドヌール」勲章を授けた。彼は非常に驚いて、「もし、私が死んで神の前に出たら、神が私に、おまえはもう、褒美をもらっているのだから、あちらに行けと言われるかもしれない」と言った。そのため、ヴィアンネは古い司祭服に勲章のメダルを付ける事を拒否したそうです。

アルスの司祭の話は国外にも及び、1858年(72歳)の時には10万人が訪れたと言われています。同年の7月29日、17時間の「ゆるしの秘跡」を与え続けたヴィアンネは、聖堂からよろよろと出てくると『やりつくした』と語り、椅子に崩れるように座りました。

そして、翌日未明には衰弱し、立ち上がることすら出来ずにいると、その様子を伝え聞いて集まった多くの巡礼者達は嘆願の祈りを3日間続けました。しかし、彼は自分の時が来たことを知ったために、共に祈りをすることを拒んだのです。

8月2日、ヴィアンネは最後の聖体拝領をしたいと願い出ました。彼は、イエスが聖櫃から離れたことを知らせる鐘の音に涙を流し、また、司祭がご聖体をもって部屋に入ってくると再び涙を流したそうです。

1959年8月4日午前2時ごろ、モンナン師が『神の聖なる天使たちが迎えに来て下さり、天のエルサレムへ導いてくださいますように』と魂をゆだねる祈りを唱えるなか、疲れきり衰弱しきったかれは司祭館でその魂を神のみ手に返しました。73歳でした。

引用:聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネの生涯と祈り いつくしみセンター

8月6日の葬儀には教区の司教や司祭を含め、国中ほぼ全ての修道院の代表者らが参列し、6千人以上の人々が集まり、ヴィアンネを悼んだのでした。

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聖ヴィアンネの遺体は腐敗を免れてアルスの教会に安置されています。

1855年、アルスの主任司祭であったジャン=マリ・ヴィアンネは、自分でも知らぬうちにシュヴァリエを叙勲されていた。これは、当時の郡長とアン県の知事が申請していたのである。
しかし、ヴィアンネは、「勲章は貧者のためのお金をもたらすことはない」としてこれを断った。
ところが、拒否にもかかわらず、レジオンドヌール勲位局は勲章を料金を請求せずに送付した。結局、司祭は決して勲章を着用することはなかったが、勲章は棺の中に入れられた。

参考:Dans Le Curé d’Ars, Mgr Francis Trochu, 1925.

聖ヴィアンネの軌跡

1786年5月8日 フランス・リヨン近郊のダルディリーに生誕、洗礼を受ける。
1806年(20歳) 
エクリで司祭の勉強を開始、翌年に堅信を受ける。
1815年6月23日(29歳) 
リヨンにて助祭叙階。
1818年2月13日(32歳) 
アルスに着任。
1821年(35歳) 
アルスが小教区となり初代主任司祭となる。
1824年(38歳) 
ラ・プロヴィダンス(み摂理の家)と呼ばれる少女向けの学校を設立(のちの孤児院)
1849年(63歳) 
男子学校を設立する。
1858年(72歳) 
巡礼者が10万人もアルスに訪れる。
1859年8月4日(73歳) 
午前2時頃、帰天。
1862年 
列聖審査開始。
1905年1月8日 
教皇ピオ十世により列福 「フランスの司祭の保護者」と宣言。
1925年5月31日 
教皇ピオ十一世により列聖。
1925年4月23日 
教皇ピオ十一世、「全世界の小教区の司祭の保護の聖人」と宣言。
1985年10月6日 
教皇ヨハネ・パウロ二世、アルスに巡礼。

教皇パウロ・二世
聖ヴィアンネの生家に巡礼された教皇ヨハネ・パウロニ世

2009年6月19日-2010年6月11日 教皇、『司祭年』開催を発表

司祭年開催

教皇ベネディクト十六世は、「アルスの司祭」聖ヨハネ・マリア・ビアンネ(1786-1859年)の没後150年を記念して、2009年6月 19日から2010年6月11日まで特別年の「司祭年」を開催することを発表しました。

司祭年
右側のシンボルマークは、「イエスのみ心」を表します。イエスのみ心の祭日には、「世界司祭の聖化のための祈願日」が行われます。

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